マスコミの中にマスゴミが発生してしまう理由を考える
震災の報道でマスコミが批判を受けているようです。
個人が情報を発信できるようになったことによって、以前は知りようのなかったことが表に出たり、
「表に出てしまった」ようなものも、批判を受ける場所というものが出来てしまったわけです。
他にも色々とマスコミの大罪というものはありますが、ネットの情報にも多くの間違いや偏見が含まれているものです。
それに全てのマスコミを批判するのはお門違いで、中には本当に困っている人のために動いているマスコミもいるはずです。
どの程度が「まとも」で、どの程度が「まともじゃない」のかという割合は知りませんが、今回はそもそも「マスゴミ」が発生してしまう理由を考えてみました。
マスコミにとっては「仕事」
僕は一時期、ライターの仕事を行っていました。
そこでは沢山、自分の意見とは違う文章を書いてきました。
明確な「嘘」こそ書いていませんが、ミスリードのために情報の伝え方を工夫するようなことも沢山しました。
それは僕にとって、それが「仕事」で、お金を稼ぐために必要なことだったからです。
マスコミ関係の仕事をしている人にとっても、「分かりやすい映像を取って放送する」というのがお金を稼ぐために必要なことなわけです。
現場レベルで考えれば「上から指示されている仕事」であり、経営レベルで考えれば「広告を売るためのコンテンツづくり」です。
みんな、最終的にそれが金になるからやっているわけです。
ほとんどの人は簡単に悪者になれる
こう言っちゃ悪いけど、人は簡単に誰かにとっての悪者になることができます。
それはマスコミを批判している人のほとんども同じでしょう。
経験的な感覚値としては9割を優に超えます。
マスコミ批判をしている人がマスコミの中に籍を置けば、同じような行動を起こしてしまうこともあるでしょう。
もし「絶対に俺はそうならない」って考えている人は、そういう選択肢をつきつけられたことが無いだけではないでしょうか。
もしくは、通常の人間ではありえないほど正義感に満ち溢れているか、のどちらかでしょう。
人は誰かのせいにしながら、悪者になります。
「上司から命令されているから」なんて言いながら、その道を選んだ自分を責めません。
だって、そうするのが一番楽で簡単だからです。
声のでかい怖い上司が間違ったことを言っているとき、皆さんはしっかりと軌道修正することができるんでしょうか。
コンテンツを受ける側にも問題がある
「他人の不幸は蜜の味」なのが人というものです。
それは口に出すか出さないかの違いぐらいで、基本的な性質なんだと思います。
蜜に感じないとしても何らかの刺激を受けて、最終的にプラスの影響を受けることは多いのではないでしょうか。
そんな中、被災に関する情報に対して否定的なことを言うとすぐに「不謹慎」とか言われる風潮が完成しつつあります。
これって要するに、みんなで一緒になって「あいつらを不幸がってやろう、異を唱えるやつは不謹慎と叩けば良い」という世界を作り上げているわけですよ。
せっかく美味しい蜜をチューチュー吸い上げているのに、邪魔されて「うるせぇ」って思うんじゃないでしょうか。
要するにいかに「不幸な感じ」を引き出せるかが、視聴者のニーズとも一致しているわけです。
ニーズがあるから、「人様に迷惑をかけることになる」仕事も生まれてしまうわけです。
「マスゴミ」は自然に発生するもの
勝手な考察ですけど、以上のことから「マスゴミ」という存在は自然発生するものと考えます。
被害者がいる取材の「マスゴミ」発生3ステップ
- 人々の中の深層心理にニーズがあって、
- それを知っている人間が指示をして、
- 普通の感覚の人間が実行犯となる。
情報操作などの「マスゴミ」発生3ステップ
- 情報操作によって儲かる人間がいて、
- その利益を分けてもらう人間が指示をして、
- 普通の感覚の人間が実行犯となる。
要するに
- 得する人間がいる
- 得する人間から利益を得る人間がいる
- 普通の感覚の人間が実行犯となる
というものすごく単純な図式から成り立っているわけです。
なのでそう簡単になくなるものではないと思います。
簡単に言えば、商売とならないほどの打撃を周囲から受けなければ、自粛という方向には動かないでしょう。
それが彼らにとっての「生活」ですし、利益の源泉なわけですから。