「ちはやふる」の映画化にちなみ百人一首の話を
マンガの「ちはやふる」を愛読しているので、映画化は純粋に嬉しいです!
ちなみに、女性限定試写会の募集が映画の公式サイトで始まっています。
2月24日までなので、気になる方はお早めに♪
学生時代、古典の時間が好きでした。
物語を訳しながら読むだけなので、本好きの私には嬉しい時間でしたね。
ちなみに漢文の時間も好きで「満月の夜、湖に船を浮かべて酒を楽しんでいた男性が、湖に映った月に手を伸ばし」的な話が印象に残っています。
確か白居易だったような。
昔すぎて忘れました。
「今じゃ理解しにくい文化があった」というのが楽しいですね。
「ちはやふる」にちなみ今日は百人一首の話
マンガの「ちはやふる」でも百人一首は折に触れて紹介されますね。
学生時代の時、百人一首に興味はなかったのですが、恋愛を経験したり年齢を経ることで、しみじみと良さを感じるようになります。
秋風に たなびく雲の 絶えまより もれ出づる月の 影のさやけさ
これは左京大夫顕輔という人の歌です。
純粋に秋の光景を歌ったのですが、キレイですよね。
きっとこの歌を見れば多くの人の脳裏に、秋の月夜の美しさが思い浮かぶことでしょう。
個人的には「さやけさ」という言葉が好きですね。
日常的に「さやけさ」なんて使いませんし、都心ではこのような情緒を感じられないと思います。
ちなみに、「さやけさ」の意味は『清く澄んでいること。明るくはっきりしていること。すがすがしいこと。』だそうです。
また、「月の影」は「月の光」という意味。
なぜ「影」が今では「光」になったのでしょうか。
個人的に凄く興味を惹かれます。
「光があるからこそ、影が見える」とかそんな感じですかね。
「影があるなら、光が当然あるはず」というニュアンスですかね。
影が濃くなればなるほど、光も明るくなる的な。
何かで聞いたのかな?
もはや忘れました。
まとめ
学生時代、友達が「古典や漢文を習って何の意味があるの?」と言っていました。
その言葉を聞いた時、悲しい気持ちになった記憶があります。
今の世の中、役立つこと便利なこと効率的なことなどが重視されて、日常生活で役立たないことは価値がない、と思われがちです。
もしくは、そんな世の中のように感じます。
マンガ家や学者などを除き、古典を習うことで直接なにかしらの利益に直結するのは難しいでしょう。
でも昔の人が月の光の美しさに気づくこと、それをキレイだと思うこと、さらにそれを歌という形に表すこと。
それが現代の人々に共有されて、受け入れられること。
そういったものに触れることで、自分が書き手に受け入れられている気がします。
それが人々の孤独を救ってくれる気がします。