「毎日は何気なくない!」と教えてくれる短歌
何気ない毎日を過ごしている気がしているのは、もしかしたら色んなものが見えていないだけかもしれない。
短歌のなかには、こんな気持ちにさせてくれるものもあります♪
街中の人々はだた無関心なのか?
老若男女が行き交う都心。
互いにこれといった関心を持たないこの状況を、あなたなら短歌でどう詠みますか?
コンクリートジャングル?
冷たい街?
歌人の川野里子さんは、こんな風に詠みました。
『背を丸めスクランブルを行く老父が東京者の無礼を赦す』
これを読んだ時「なるほどー」と思いました。
もしかしたら、私は色んな人に赦されているからこそ何気ない毎日を送れているのかもしれない。
そんな風に想像してみると、また違った世界が見える気がします。
でもきっと私は事実、色んな人に色んなところで赦されているのだろうな、とも感じます。
変わりばえのない無機質なオフィスでも短歌は生まれる
毎日同じような表情を見せるオフィス。
植物がなければ、時が止まっているかのようなツマらなさすら覚えます。
嫁は、そんなオフィスでは心を動かされるような物事なんてないような気がしていました。
しかし、歌人の大辻隆弘さんは違います。
『コピー機のガラスの底を走りゆく遠き湖水のごときひかりよ』
こんな風に表現されると、まるでコピー機の光が神秘的な輝きを持っているかのように感じられます。
温度も感じさせないような光を、こんな風に表現できる感性。
凄すぎます!
歯医者さんは痛いだけの場所ではない
嫁は年に2回くらい歯医者さんに行きます。
歯周病気味なんですよね。
歯医者さんに行くとよく「口を開けてください」という言葉を耳にします。
なかなか「少し閉ぢよ」とは言われません。
もし「少し閉じてください」という言葉を言われたら、なんて考えますか?
「大きく口を開けすぎた?」と考える方が多いのではないでしょうか。
その点、歌人の澤村斉美さんは違いました。
『あんぐりと開けたるくちは虚ろなるか少し閉ぢよと言ひしは歯科医』
口の奥行きを「虚ろ」と表現したのです。
嫁は、病院独特の冷たいイメージと相まって、ちょっと不気味さを感じる歌にも思えました。
口の中の暗さをそんな風に見ることができるとは…!
論理的なものがすべてではない
社会人になると論理的な思考、適度な割り切りが求められるし、それをしなければ生きづらい世の中のように思えます。
特に会社員の場合はその傾向が強い気がします。
芸術的な感性や考え方を求められるのは、ほんの一握りの方々なのではないでしょうか。
でも、こんな短歌に出会うと「もう少し自由な感性を身につけたかったなぁ」なんて感じます。
ジレンマですね♪